Column

葬祭コラム

おひとりさまの孤独死と孤立死

 同じような言葉ですが、ニュアンスが微妙に違います。どちらもだれにも看取られることなく、死に至る死に方です。
 単身世帯では、よほど周りとのコミュニケーションが日常生活の中でないと、孤独に落ち込んでしまいます。特に都会の団地やマンションなどでは、隣同士のプライバシーを重んじるあまり、挨拶もしません。最近では訃報連絡の掲示もなされていません。
 時々あいさつ程度しかしないおじいさんなどが、いつの間にか顔を見なくなってしまい、その存在さえ忘れたころに、そういえば・・ということで、噂を聞けばすでにお亡くなりになって久しいとか。このような生活環境の中で煙のように「消えていく」そのような死は大変さみしいものでしょう。
 事件になることもあります。死後数日、または数週間たって隣人がその異臭に気が付いて発見されるケースです。時すでに遅く遺体形状も死後経過とともに変化していきますので、大変おぞましい姿になることも多くあります。もちろんこのような場合は「検視」され、「検死」になります。明確な犯罪性がなければ、そのまま身寄りのものに連絡がいきますが、最近では疎遠になった親族からは、その引き取りを拒否されることも多くありますし、またその血縁者を探すのに数か月を要してしまうこともあります。多くの場合そのような遺体は、葬儀社の保管室、冷蔵庫などに安置されることが多いのですが、やはり1日ごとに料金が加算されていきます。たとえば1日の保管料を5.000円としても3か月だと45万円くらいに膨らみます。このほかに納棺や火葬料金を加えると100万円くらいになることもあります。そういうことも含めて引取りが拒否され、また火葬後の遺骨の受け取りも拒絶されることも多いようです。
 孤独死や孤立死、いわゆるおひとり様の死の後の話としては、最悪でしょう。なし崩し的な人生の無責任な結果といえます。いろいろな事情があるとは思いますが、「野垂れ死」は最も醜い、迷惑のかかる死に方ではないかと思います。
 年間3万人の自殺者は異常な社会です。10年経つと、30万人が自殺する。これは中堅の都市一つが消え去るということです。
 これもある意味、孤立した中での死ということになります。
 現状、病理解剖の中で行政解剖や司法解剖も増えていると聞きます。身近な家族がいてもその死にぎわに関して、医師の立ち合いがなければ死因の追及がなされます。そのための検死事項がうなぎのぼりで、都市によってはその順番待ちもあるようです。
 ぜひ、このような孤独死、孤立死にならないためにも最後の自分自身の責任を全うすることが最小限のマナーではないかと思いますが。いかがでしょう。